【目堂雅明】「超絶長すぎる」絵画解説。
手の意味
下方に描いた「移ろうもの」。
それは人も然り、
お金や大切なものもそうでございます。
「もの」は「者」でもあり「物」でもある。
それらは全て
「量子」という最小単位の構成物で出来ています。
学校の理科で習った「原子」「電子」もまた量子で構成されています。
それはお金という紙切れにもなり、
物にもなり、動物にもなり、そして人になる。
さらには
幸福にも、不幸にも。
その形は決して永遠にとどまることはございません。
花の意味
量子には
あらゆる姿の確率が存在し、
人の主観によって観測されることで
一つの姿に変わります(コペンハーゲン解釈の『波束の収縮』)。
この考え方を体現したのが「シュレーディンガーの猫」という思考実験です。
(思考実験の内容はこちら↓)
ただ、物事は生死のような二択ではなく、
あらゆる正解=確率があります。
それらは「色眼鏡のついた主観」でしか見ることができません。
つまり
気の持ちようによって、
良き正解や悪しき正解を得ることができます。
世界は解釈でできており、
その主導権は私たちの手に委ねられています。
良き正解は、自らが掴むことができるという希望。
悪しき正解は、非絶対的な存在という事実。
実は「仏教」もまた、そのことを示しています。
特に般若心経には
「色即是空」
と書かれていますが、
つまり、物事(=色の部分)は実態のないもの(=空なるもの)と
述べているのです。
さらにそれは「縁起」によって物事の姿が成り立つのです。
このことについては、
『ダライ・ラマ科学への旅(サンガ新書) 』 にて詳しく書かれております。
よろしければ一度お手に取ってご覧ください。
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絵のタッチ
ワタクシはよく、自身のタッチを
「エスニック」「民族的」と表現するが、
厳密には
「世界の再構成」だと考えております。
ある時は仏教の世界観から、ある時はラスコー壁画のような原始美術から、
何故それを行うか。
それは、
ワタクシの世界は未だ模索中だから。
というのもございますが、
それぞれの文化には共通点があるから
ということもございます。
例えば、五色の色。
日本では、
青、赤、黄、白、黒
神道の世界では
緑、赤、黄、白、紫
という色の組み合わせがございます。
これは中国の五行思想(木、火、土、金、水)が発祥と言われています。
木=青や緑
火=赤
土=黄
金=白
水=黒や紫
つまり森羅万象を構成するものから、色が連想されているのです。
しかし、インド由来である仏教でも「五色の色」の概念が見られます。
青、黄、赤、白、黒
ここでの色は、
青=如来の毛髪の色。穏やかな心で生きる力を表す。
黄=如来の身体の色。確固とした揺るぎない性質を表す。
赤=如来の血液の色。大いなる慈悲の心で人々を救済する様を表す。
白=如来の仏歯の色。清らかな心で諸々の悪業や煩悩の苦しみを清める様を表す。
黒=如来の袈裟の色。あらゆる侮辱や迫害、誘惑などに耐える力を表す。
とされています(Wikipediaの文を分かりやすく脚色しております)。
(原文はこちら↓)
もう一つの好例が
五芒星です。
五芒星といえば、
日本は陰陽師が有名です。
陰陽道でよく扱われる五芒星は、
先程の陰陽五行の相剋(力を相殺する関係)から成るもので、
魔除けの呪符として重宝されたという。
一方西洋でも五芒星はございました。
始まりは紀元前3000年頃のメソポタミアの書物。
「角、隅、小さな部屋、空洞、穴」を意味する絵文字として使われたそうです。
他にもエジプトでは「子宮」のマーク、
バビロニアでは図形の各側面にそれぞれ木星・水星・火星・土星・金星の象徴とされました。
のちのヨーロッパでも
火・水・風・土の四台元素に「霊」を加えた五つのエレメントをあてがったとされます。
(出典↓)
なぜこれほど似てしまうのか。
世の文化には、
ユングの「集合的無意識」のようなつながりがあるのではなかろうか。
ワタクシ思います。
太古からある世界観を再編成して
また新たな世界を創造する。
ワタクシはそれが楽しうございます。
あとがき
これにて
今回の絵画の解説を一通りできたかなと思います。
量子について説明するとあまりにも長すぎな文章になってしまうため、
駆け足で話してしまったことをお許しくださいませ…
作品について反省点があるとすれば、
絵だけでも
これだけの情報を詰め込んでおります故、
ワタクシの絵は
あまり直感的に伝えることができないのだろうか…
とも思います。
もう少し直感的な美しさを求めた方が良いのだろうか。
ワタクシの楽しい楽しい模索は、まだ続くようです。
(終)