【妄想】ある絵描きが考える「世界観」▼後半
▼注意▼この記事は以下の記事の後編です。
まずは前編をお読みいただけると1000倍くらい楽しめます。
medo-ancientart.hatenablog.com
前編を見てくださった方へ…
おかえりなさいませ!
長々とワタクシの世界に付き合ってくださりありがとうございました🙇♂️
さて、前編でも書きましたが…
そんな妄想して何がしたかったのか。
それは…
・自身の頭の中、自身の描く世界観を紹介したかったため。
なのです。
あと、前編には書いていないのですが
もう一つやりたかったことがございます。
それは、
・自分の妄想を考察してみたい
というものです。
なぜ考察するのか。
「オズの魔法使い」をご存知でしょうか。
|
1900年に刊行されたもので、竜巻に巻き込まれたドロシーがカカシ・ブリキ・ライオンと共に不思議な世界を旅するあの物語です。
実はある面白い考察があります。
1964年、ヘンリー・リトルフィールドという高校教師が
学術誌に『オズの魔法使い: 大衆主義の寓喩』を執筆し、
19世紀後期のアメリカの比喩を含んでいると断言したそうです。
オズの王国は東西南北4つの国と首都エメラルドの都があります。
特に
東部は青、西部は黄、南部は赤、
エメラルドの都は緑と表現されています。
実はアメリカでも、土地及び国民が中西部、南部などに分類されているのを、
色で表していました。
東部は工業地帯のブルーカラーから青、
西部はカリフォルニア州のゴールドラッシュから黄、
南部は赤土やレッドネックから赤、
首都ワシントンD.C.は紙幣の色から緑。
オズの王国と一緒です。
さらに
自分がバカだと思い込んでいるカカシは、
「頭脳をあまり必要としない」とカンザス州の人々に言われた農民を表しており、
東の悪い魔女に虐げられていたブリキは、
経営者に虐げられつつ働く東部の労働者階級を表しており、
臆病者のライオンは、
1898年の米西戦争で「非暴力」「反帝国主義」を貫いた人民党の著名な政治家ウィリアム・ジェニングス・ブライアンがモデルだと言います。
ブライアンのその姿勢はしばしば「臆病」と批判されました。
詳しい解説はWikipediaに記載されてありますので是非お読みください。
そのほかの童話もまた、このように考察する動きがいくつか見られます。
インターネットで沢山考察が出ていますのでそちらも是非お読みください。
これらのことから、
ファンタジーという創作物は、何かしら「現実の何か」と関わりがあります。
ファンタジーは現実のためにあると言っても過言ではないのです。
ということで、いざ考察
お分かりいただけたところで、考察パートに入りたいと思います。
今回はワタクシが思う主要な部分を考察していきます。
前編を読んだ前提でお話しいたしますので、もし読んでいらっしゃらなければ前編をお読みください↓
medo-ancientart.hatenablog.com
1.柔らかく、慈愛に満ちた神の存在
→父性の徹底的な排除。
2.白と黒の神
→白と黒が好き。白黒つけることが美しいと思っている。
3.サイ(才能、力、得意なこと)
→才能は力。才能至上主義。
4.光に包まれた幸福な世界。
→それを願い過ぎて不幸を受け付けなくなっている。
5.創造を愛している。
→そのために絵描きをやっている。
1.柔らかく、慈愛に満ちた神の存在→父性の徹底的な排除。
ワタクシは「厳しい」ことが嫌いです。
厳しいことを言われるのも嫌いですし、
根性論や精神論も嫌いです。
また、勝ち負けを決めなければいけない競争も嫌いです。
ワタクシは幼少期に「鬼ごっこ」や「かけっこ」をやったことがありますが、これが父性を嫌う原因だったと思います。
足の遅かったワタクシは、ひとたび鬼になれば鬼のままでゲームが終わることが多々あり、かけっこも万年ビリでした。
そしてどうすれば良いかを周りに問うと、
「努力しろ」
と言われました。
ワタクシの耳には、
「お前は不完全だ」
「努力して競争に参加しろ」
「お前の悲しい感情なぞどうでもいい。とにかくやれ」
と言われているようにしか聞こえません。
そのためワタクシにとって「競争」、
それを誘発し強制させる「父性」という言葉はナンセンスなのです。
じゃあどうするか。
競争に参加せず、自分が得意とするものにのみ注力する。
それがワタクシのやり方でございます。
2.白と黒の神→白と黒が好き。白黒つけることが美しいと思っている。
白と黒
陽と陰
肉体と精神
土と木
ワタクシは白と黒の相対関係はとても美しいと感じてしまいます。
その代わり、中間色や答えが出ないもの、答えがわからないものがあまり好きではございません。
本業でもある程度マニュアルがないと悩んでしまうタイプです。
(芸術はよく答えがないものとは言われますが、ワタクシの場合自分の理想をはっきりと描くスタイルなので、その辺りは問題ないと思われます)
3.サイ(才能、力、得意なこと)→才能は力。才能至上主義。
ワタクシが小学生の頃から考えていることでございます。
ある日、「スーパーマリオシリーズ」に嵌り、
そのことについて調べていると、
生みの親である「宮本茂」さんを知りました。
宮本さんのことを調べると、
「ちゃぶ台返し」とか
「海外の人から『ゴッドマン』と言われる」とか…
調べてみるとどれだけ凄いかわかります。一度調べてみていただければ…
才能がある方がこのように開花すると、
「幸福」になれる。
あと「神」になれる。
そうワタクシは学習しました。
後に「才能は他人の尺度で決められることだ」ということも学習しますが、
才能を活かせると「幸せ」になれるという考えは、
今も頭の片隅にあります。
Googleで宮本さんのお写真を検索すると、
どれも本当に楽しそうな笑顔をなさっております。
大変なこともあるとは思いますが、本当に幸せなんだな…と思います。
4.光に包まれた幸福な世界。→それを願い過ぎて不幸を受け付けなくなっている。
これはワタクシが作品制作のためスピリチュアルを研究していることが影響しています。
スピリチュアルを調べていると、よく…
「幸福や不幸はあなたが作り出すもの」
「だから他人にどう言われようと、幸せに生きていい」
という内容を目にします。
ワタクシは、
「スピリチュアルの知識を取り入れると、無駄な不幸を体験しなくて良い」
と思い、いつしか
「不幸は取り除ける」
と思い込んでしまいます。
ただ、辛いと思うことを経験してしまうと、
「なんとかして不幸を取り除きたい」ともがいて余計苦しくなってしまいます。
前述した白と黒のお話と通ずるところがありますね…
0か100の思考になってしまいます。
これの何が悪いのかと言いますと、
辛いことを不幸と捉えてしまい、「努力」があまりできないというところにあります。
絵描きとしてもこれはあまり良くないことで、
例えば大学時代の場合、
「描かなければいけない。
でも描く力があるなら就職活動をするべきだ。
しかし就職活動は辛いからやりたくないし、それをしないのであれば絵を描くべきだ。
でも描くと…(略)」
という無限ループに陥った結果
「ああもう何もしたくない!」
と投げ出してしまう危険性があると実感しています。
5.創造を愛している。→そのために絵描きをやっている。
ワタクシは創造を愛しています。
前述の宮本茂さんを見ても
「つくることは本当に楽しい」と思います。
その後に尊敬する
平沢進さん
小松美和さん
その方のお写真や動画を拝見しても、
楽しそうな表情をしておられることが多い気が致します。
(平沢さんは無表情にもかかわらず滲み出ている気が致します)
やはり何かを創作することは本当に楽しいのだと感じさせてくださいます。
ワタクシもこの記事の前編を書いている時本当に楽しいと感じました。
楽し過ぎて、時間がものすごく早く感じました。
あとがき
まだ考察できそうな部分もあると思いますが、
あまり長くなるのもアレなのでこの辺にしておきます。
妄想をしてみると、意外と現実とリンクしていることに毎回ビックリ致します。
ミナサマ妄想は良いものですよ😊
現実とリンクしているかもしれませんし、意外な発見もあると思います。
あと楽しいですし。
もしミナサマも前編を読んで「ここら辺が気になる」「この部分が好き」というご意見がございましたら、
どうぞコメントしていただければ。
ワタクシもご返信致しますので🙇♂️